芭蕉が多賀城を通過したのは元禄二年五月八日(陽暦一六八九年六月二十四日)。
多くの解説書はこの日「巳ノ尅(午前十時)」に仙台国分町を出、十符菅、多賀城碑を見、「未ノ尅(午後二時)」に塩竈神社前の宿でお茶漬けをたべた、と解説している。
この間わずかに四時間。
はたして可能だろうか。
芭蕉については「あんなに早く歩けるはずがない」と忍者説も出る始末。
しかし誤りは江戸時代の時刻制度を「定時法」と理解することにある。
当時の時刻制度は「不定時法」だった。
(第五章、第八章)
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